こんにちは、西宮エヌです。
日々、新しいサービスやテクノロジーが生まれる現代。世の中はますます便利になり、私たちの生活もより良くなるだろう……という希望がある一方で、これからの社会はどうなってゆくのだろう……という漠然とした不安を抱く方もいることでしょう。
『14歳からの資本主義』は、これから大人になってゆく14歳、つまり中学生の読者を念頭におきつつ、優しい語り口でまとめられています。大人にとっても現代の資本主義が抱える問題点を理解し、これからの社会のあり方を考えるきっかけになる一冊と言えるでしょう。
私たちが生きる現在の資本主義社会が抱える問題とは、一体どのようなものがあるのでしょうか。
グローバル化の功罪
1980年代までの資本主義は、社会主義との対比によって今よりもっとシンプルに定義できていたように思うと著者はいいます。
「資本主義」とは、市場で多くの人々の自由な意思によって売買が行われ、富が配分される社会のこと。一方「社会主義」とは、社会全体で必要な物資の量、その配分を政府がまとめて計画する社会のことです。
アメリカを中心とする西の資本主義陣営と、ソ連を中心とする東の社会主義陣営による「東西冷戦」が起こり、1989年のドイツ「ベルリンの壁」崩壊を機に、資本主義の市場は世界へ広がりました。市場の国際的な開放によって、人・物・情報などの移動が活性化し、様々な分野で国境が曖昧になりました。
その後、国際的な金融危機となったのが、2008年のリーマンショックです。2003年後半から、低所得者向の住宅ローンである「サブプライムローン」の利用者が急増した後、住宅価格の上昇率が鈍り始め、同時にローンを返せない人が増えていきました。その結果、貸していたローン会社の資金繰りも悪化して信用不安が生じます。
証券化され、国際的に市場で売買されていたローンの価値は、一気に暴落しドミノ倒しのように世界に広がったのです。
グローバル化で、お金の循環がうまくいっている時は良いのですが、さまざまな国が市場として結ばれたことによって不安定性が増したともいえます。
「共感」が商品になる時代のワナ
戦後の高度経済成長期は、日本全体がわかりやすい物質的な欲望に満ちていました。80年代にはバブル景気に沸き、その後90年代にバブルの崩壊が起こりました。
その間に経済を支える主役が「モノ」から「コト」へと移ろっていきます。
いま現在の状況はといえば、コト消費が進む中、人の心までもが「商品」になる時代となりつつあります。
情報、知識、サービスなどを扱う産業の占める割合が高まる「ポスト産業社会」と言われる市場では、「体験」「共感」「感情」などのかたちのないものが商品として取引されます。その価格決定は、主観的な価値観に大きく依存します。
たとえばあるコンサートがあったとして、そこに数十万円でも買いたいという人もいれば、まったく関心がないため価値を感じないという人もいます。
あなたがこのコンサートにあまり興味がなかったとします。しかし周囲の友達から直接すすめられたり、ネットで「10万円出しても惜しくはない!」「人生で一度は見ておくべきだ!」といった書き込みを目にしたらどうでしょう?
徐々にあなたの心も動くのではないでしょうか。そしていつの間にか「すばらしいコンサートだから10万円の価値がある」という理論の順序とは反対に、「10万円もするからすばらしいコンサートである」という感覚にすり替わっているかもしれません。
誰かが欲しがっているもの/良いと言っているものを、自分も欲しくなる…。果たしてこの「欲しい」はホンモノなのでしょうか。この「模倣された欲望」が資本主義の原動力と言えなくもないと著者はいいます。
「共感」が商品になることで、価値観が惑わされ、自らの欲望が不確かになるワナが生じているのです。
テクノロジーが格差を生む?
現在、「新しいテクノロジーが発展しているにもかかわらず、経済が低迷している」という、産業革命以来、200年あまり歴史の中で例を見なかったパラドックスが発生しています。
かつての産業革命は、「農民」を労働力の不足していた新しい工場で働く「労働者」へと変えました。しかし、昨今のデジタル革命では、技術革新で生産性が上がって、多くの人が職を失っているのに、それに代わる受け皿となる仕事が今のところ少ないようです。
新しいテクノロジーは多くの中産階級から仕事を奪い、人々はより低スキル/低賃金への転職を余儀なくされていくというのです。景気の低迷と格差の広がりが同時に進んでいる原因といえます。
資本主義は成功ゆえに壊れる?
本書ではシュンペーターという経済学者の言葉が引用されています。
彼は資本主義の存続を願いながらも「資本主義は、成功する。だが、その成功ゆえに、自ら壊れる」と説明しています。
資本主義はその成功ゆえに、システムを支える社会制度が揺らぎ、社会主義への移行を示唆する状況が必然的に訪れるというのです。
シュンペーターはかつてのマルクス的な社会主義ではなく、他の社会主義のあり方があることを私たちはすっかり忘れていると指摘します。
現在起こっている「資本主義のねじれ」を緩和させる方法の例として、以下が考えられます。
- 所得だけでなく貯蓄にも税金が課されるという制度
- ベーシックインカム生活に必要な最小限のお金を社会の全員に配る「ベーシックインカム」という制度
これらは事実上、社会主義と同じことであり、これからの世の中は社会主義的になっていくといえるのかもしれません。
おわりに
セドラチェクというチェコの経済学者が、経済成長を天気に例えています。放っておいても景気がよい「晴れの日」、つまり成長が維持される間はもちろんよい。
「雨の日」「嵐の日」、つまり成長が難しいときに備えてこその経済政策ではないのか?
経済成長なしでも維持できる資本主義のスタイルがあるのではないか?
それを踏まえ、著者は、「総合的に社会体制、文化、民族性、歴史なども踏まえて市場とのつきあい方を考えなくてはならないーーつまり、資本主義というものは、そもそもどの国でも同じ数式で説明されるようなものではないのではないでしょうか?」と読者に問いかけています。
そして「ここから新たな対話が始まることを楽しみに」という言葉で、本書の最後は締めくくられています。
本書は、明確な答えを提示せず(もちろん答えを出すこと自体難しいのですが……)、著者からの問いかけにより、これからの時代を考えるきっかけとなる本です。
これから大人になる14歳と共に、私たちも「日本的な資本主義」を考えはじめなければならない時がきているのかもしれません。