今回ご紹介するのは、藤田晋さんと堀江貴文さん初の共著『心を鍛える』です。
本書では、藤田さんと堀江さんが、10代、20代、30代、40代の人生を振り返りながら、自分の心を強くしてきた経験について語られています。
読み応えがあるのは、やはり20〜30代。インターネットバブルに沸くIT業界で、真逆の性格に見えるお二人は、何を考え、何を感じ、どのような思いで生き抜いてきたのでしょうか。
多くの批判やプレッシャーに晒されてきたお二人を見ると、「自分だったらとても耐えられない」「精神的に病んでしまってもおかしくない」と感じる人も多いと思います。
どうすればお二人のような「強い心」を持てるのか、本書ではそのヒントを得ることができます。
簡潔に言えば、お二人とも若い頃からさまざまな「心の痛み」を経験しており、それを乗り越えてきたからこそ耐性がついた、ということです。
つまり「強い心」を持つためには、若いうちから少し痛い目に遭っておいた方がよく、その「負荷」をポジティブに捉えて、成長の糧にできるかどうかが重要ということです。
痛みから目を背けずに乗り越えることで、心は耐性を獲得し、強くなっていきます。
といっても、お二人が経験してきた負荷や痛みは、(少なくとも幼少期や学生時代においては)特別なものではありません。
「そんな特別な経験をしていたから、お二人は成功できたのか」と思うようなものではなく、どれも普通の学生が、普通の思考回路で、普通に生活している中で経験しうること・経験できることです。
もちろん会社が成長して有名になるにつれ、心にかかる「負荷」は普通の人では味わえない規模のものになっていきますが、元を辿れば、誰もが味わう「痛み」ばかり。
初めから常人では耐えられないレベルの負担やプレッシャーを経験し、乗り越えてきた「超人」ではなく、一つずつ痛みを乗り越える中で耐性ができ、鍛えられて行った、と表現する方が正しいと思います。
「心の痛み」を前向きに捉え、成長の糧にしてきたからこそ、より大きな負荷やプレッシャーに対しても、平常心で挑戦できるようになっていったのでしょう。
以下、お二人の心を強くした経験について、2つずつご紹介します。
藤田晋
No pain, no gain.─痛みなくして得るものなし
藤田さんは大学1〜2年生の時、厚木の雀荘でアルバイトしていたそうです。
そこには騙そうとしてきたり、卑怯なことをやってきたりする悪い人がたくさんいて、何かしら事件が起こるたびに裏切られたような気分になり、ショックを受けていたと言います。
しかし次第に「自分の身を守るためにも、店を守るためにも、人の目を養うことが大事なんだ」と思えるようになり、それが「心を強くする」ことにつながったそうです。
さまざまな出来事に見舞われ、対処し、それでもへこたれずに前を向いて進んでいくこと。それが「生きていく」ということ。だから、「心を鍛えるためには、少し痛い目に遭っておくことも必要」だと藤田さんは言います。
たとえ痛い目に遭ったとしても、「いい筋トレをしたなあ!」くらいに捉えることを勧めています。
「ダメなら次!」の精神で打たれ続ける
その後、雀荘でのアルバイトを辞めた藤田さんは、将来の夢である「起業家」に近づくために、オックスプランニングセンター(現クラウドポイント)という小さな広告代理店でアルバイトを始めます。
アポなしの飛び込み営業を担当し、1日100軒回って話を聞いてくれるのは約5軒。90軒以上から断られるという過酷な仕事でした。
「二度と来ないで」「今は忙しい」などと邪険に扱われるのが常で、当時の藤田さんの心はズタズタになったそうです。
しかし「社長になる」という夢を明確に意識していたため、「ここでくじけたらダメだ」と自分に言い聞かせ、歯を食いしばって耐えました。飛び込み営業で結果を出せない人間が、いい社長になれるとは思えなかったからです。
「100軒回って5軒も話を聞いてくれるなら、95軒断られるのは“必要経費”だ」─そう論理的に考えることで、落ち組むことも少なくなり、成果が出始めました。
このように多くの人に断られながらも、「ダメなら次!」の精神で打たれ続けるうちに、心が強くなっていったのです。
人は誰でも、断られると傷きます。でも、次に断られるときには、耐性が少しだけできているものです。「断られる→耐性ができる」という流れを繰り返すうちに、心は確実に強くなっていくのだと思います。(p.77)
「見ず知らずに人に話しかける」「多くの人たちに断られる」という経験は、心を鍛えてくれます。
「このような経験は、通過儀礼のようなものなので、避け続けるのではなく、どこかで早めに済ませておくと、その後の人生を幾分かスムーズに過ごせる」と藤田さんは言います。
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堀江貴文
孤独や寂しさを乗り越えた先にあるもの
堀江さんの心を強くした経験として印象的なのは、「離婚」と「収監」です。
1999年、27歳で結婚した堀江さんは、2年後の29歳で離婚しています。「結婚はする必要ない」「今後結婚することはない」と公言している堀江さんですから、離婚した際も特にダメージを受けていなかったものと勝手に思っていました。しかし、実際は違いました。
堀江さんは、この頃の経験が「人生最大の孤独」だと述べています。
離婚直後の寂しさといったらなかった。妻と子供が出て行った後の1人で住むには大きすぎる殺風景な一軒家。寂しさを紛らわしたくて友達を呼んで騒いだり、知り合ったばかりの女性を連れ込んでセックスしてみたこともある。
でも、彼らがそれぞれの居場所に帰ると、僕はすぐ孤独に襲われた。そうなると家に帰るのが怖くなってくる。酔いつぶれるまでバーを飲み歩く日々が続いた。素面で帰宅しても家には誰もいない。いやでも孤独と向き合わなければならなくなる。そんな恐ろしいことはない(と、当時は思っていた)。
当然ながら食事や睡眠は不摂生になる。自分の心の弱さには参った。だめだなぁ)はできるけれどもどうしようもない。(p.180)
このような精神状態から、離婚直後は近所のバーに毎日通い、バーのマスターから「最近、皆勤賞ですね」と声をかけられたそうです。
離婚前、仕事に没頭していた頃は、自分の弱さなんて感じたことがなかった堀江さんですが、「僕はこんなにも孤独に弱かったのか」と久しぶりに自己嫌悪に陥ったと言います。
ある日、何気なく開けた引き出しから、幼い我が子の写真が出てきた。写真を持つ手や膝が震えたのを覚えている。その子にはもう会うこともないし、会ってはいけない。頭では重々わかっているが、感情が大きく揺さぶられた。でも、その写真のおかげで強くなれた。ここから逃げることをやめて、正面から向き合おうと思えたのだ。(p.182)
これがきっかけとなり、ようやく連日のバー通いから卒業。
失うものがなくなり、孤独も克服できたことで、超前向きになれたのだそうです。
塀の中で学んだこと
もう一つは、ライブドア事件によって「懲役2年6ヶ月」の実刑判決が下され、収監されたことです。
獄中で課せられる刑務作業は、単純労働であることが多いそうで、例えば東京拘置所では、無地の紙袋をひたすら折っていく作業がありました。
与えられたノルマは1日50個。担当者から折り方を教わって作業始めます。最初は「50個でいいの?」と軽く見ていたそうですが、実際にやってみると、時間内にノルマをクリアするのもギリギリでした。
「悔しい」と思った堀江さんは、「どうすればもっと上手にスピーディーに折れるのか?」「教わって折り方や手順に無駄があるのかもしれない」「折り目をつけるとき紙袋の角度を変えてみよう」と考え、教わった手順を根底から見直し、試行錯誤を重ねたそうです。
その結果、3日後には79個も折ることができました。
これは心底楽しかった。久しぶりに大きな喜びそして嬉しさを感じた。「仕事の喜び」とは、このように能動的なプロセスの中で生まれるものだと思う。言われた通りにこなすだけでは、心がこんなに動くことはない。(p.250)
大学時代に「パン工場で仕分け作業をするバイト」をしたときは、単純労働のつまらなさに絶望したという堀江さん。
獄中という特殊な状況によって、一時的に単純労働にやりがいを見出し、大きな喜びを感じることができたのです。
常人では耐えられないであろう辛い状況でも、心の持ちようによって「楽しみ」を見出し、ストレスを軽減しながら生きる道を選ぶ堀江さんに、学ぶところは多いでしょう。
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